| 第24回 ピアサポート(鈴木敏明さん)を振り返って |
| 日付:2025年11月19日(水曜日) |
| 場所:のぞみメモリークリニック |
| 前回と同様に、待合室のテレビの前の一角を使って行った。テーブルを2脚合わせて使用。鈴木さんは入り口の方向を向く。鈴木さんの前に本人、横に家族がすわる |
| 時間:9:40~17:00 |
| 参加者:当事者6人 ・家族5人 |
| 見学者:なし |
| 鈴木俊明さんの初めてのピアサポート。若年性認知症センターでのピアサポートもこなしている。 |
2025年11月19日のぞみメモリークリニックに於いて第24回のピアサポートが実施されました。今回のピアサポーターは三鷹市在住の鈴木敏明さん。のぞみメモリークリニックでのピアサポートは初回になります。
鈴木敏明さんに自己紹介を願いしました。
プロフィール
茨城県生まれの67歳。
映画会社の演出部を経てフリーのディレクターとしてテレビ番組を構成・演出していた時、アルツハイマー型認知症と診断された。60歳を迎えた頃だった。
自分に認知症があることを疑うことがなかったため、現場にも家族にも随分迷惑をかけてきた。なぜ、もっと早く気付かなかったのか…。だから、ボクはいま認知症の考察に邁進している。
ピアサポートの中で
鈴木さん : 「いつ認知症と診断されたのですか?」
Aさん : 「今、さっき」
鈴木さん : 「えーっ!! 今さっき!?・・・(中略)・・ ボクは、自分が認知症だなんて少しも思っていなかったので(顔をしかめて)こんな顔してトボトボ帰りました」
鈴木さん : 「ボクの場合は晴天の霹靂でした。仕事場で『お前、頭おかしいんじゃね ーか。病院行って来いよ!』なんて言われて、それから病院で診断された のですが…」
そんなふうに鈴木さんご自身の診断直後の話をされていました。クリニックのピアサポートでは、ちょっと前に診断された方が、そのままピアサポートを受けることがあります。ピアサポーターが自分のその当時の経験を話し、目の前の人の診断直後と向き合います。
鈴木さんの感想から
終了後、鈴木さんから感想が寄せられました。その中の一部です。
「(Aさんは)疲れたと思います。ボクのお喋りを聞くとき、普段は見せないであろう瞳の周りの白目までを見開いて食い入るように聞いていたのですから。さて、ボクは彼女から何を読み取り、何を共有したのか・・・」
青天の霹靂(せいてんのへきれき)は、故事成語の一つ。「霹靂」は雷のことで、「晴れ渡った空に突然起こる雷」の意[1]。予想だにしない出来事が突然起こる様子を指すたとえ。
Wikipediaより
鈴木さん、真摯で思いやりに溢れたピアサポートをありがとうございました。
地域認知症サポートブリッジでは、ピアサポート活動を応援しています。


